ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  RECOMMEND  LINK  PROFILE  OTHERS
<< October 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
2015.08.24 Monday

大西一史さん オフのシャツ





市長とは、
何とまぁ忙しい職業であろうか。





2014年から熊本市の顔となった
大西一史さん。

その熊本市長から
シャツをいただくことになりました。



いただけると決まった日から
今日か明日かと
市長の動向をチェックしてきました。
お会いして、シャツをいただき
お話を聞こうと思っていたのです。

しかし、
「今日は無理だな」「明日も無理だ」
「明後日も、、、」と
熊本市のHPには
無理そうなスケジュールが延々と続きます。
常にONの状態です。

ローカルニュースを見ていても
市長はレギュラーのように出演。
良くも悪くも話題の中心にいるようですね。

ブログは今年の新年のあいさつのままだし
FBは市長就任のあいさつ止まり。
あーぁ。

メールをチェックする暇もないようで
返信は忘れたころにやってくる。
公務ではないので、当然ですけど、、、

一体どうなるのだろう、、、、
と若干不安に思っていたその時です!!!!!!!

市長からメールが届き、
間髪入れず、秘書のM氏から電話が。
待ってましたっ!!!!



あまりのご多忙で、
直接お会いすることは叶いませんでしたが
約束通りシャツをいただくことができました。

それは何と、真っ赤で総柄、派手めのシャツ。
麻素材で着心地良さそう。





これは、大西さんのもう一つの顔とも言える
ドラマーとしてのステージ衣裳。
(派手、だと思ったのですが、
ステージ衣裳ならもっとすごいのがあるとか。
市長のクローゼット、一度覗いてみたいものです)

ドラムがお得意だとは知っていたのですが、
得意どころか、実はプロのミュージシャンとして
東京で活動されていたのです。
しかも学生時代。

ご自分のバンド、というより
プロのバックミュージシャンをされていたとか。
真に巧くないとできない仕事ですよね。



しかし、市長曰く

精神的にプロだったわけではないんですよね。
自分自身ではギャラはもらっていても、
「この道一筋に生きていくんだ」という覚悟がなかった。
なので、「プロを目指して活動をしていた時期がある」
と、修正してくれ。

と。

しましたとも、メールのコピペで。
市長の要望とは少し違うカタチですがご勘弁ください。

なので、
多くのミュージシャンはもちろん
音楽関係の知り合いも多いのです。
これが熊本市政に反映されることを
心から願う次第であります。

ジャンルを問わず、
海外のミュージシャンが
熊本で見られる日が来ればいいのですが。
程よいサイズのホールが必要ですね。

さてさて、
約束を守る男・大西一史のシャツ。
素晴らしい作品に仕上げることを
作者に代わって公約します。

そして、できることならば
大西市長に休日を。
いい仕事をするには
オフの時間も必要ですから。


元のページに戻る(人名リストに戻ります)

※ちなみに2015年の夏休みはとれたようです。
 よかったですね。
 
2015.08.10 Monday

吉山安彦さん 青のシャツ


ある日の朝日新聞に
吉山さんの記事が大きく載っていました。



ちょうどこの時、菊池恵楓園に暮らす
ハンセン病の元患者さんに
シャツの提供をお願いしていたところ


手が不自由な方が多いので
小さなボタンのあるシャツは
あまり着用されないという話を
スタッフの方から聞いていたので
この記事を見た時「あれ?」と思いました。

園内のアトリエでカンバスに向かう吉山さんは
ダンガリーのシャツをカッコよく着ていたのです。


そこで、


「このシャツをください」


とお願いした所、快諾。


早速、写っているアトリエにお伺いしました。
この日は、吉山さんが教える絵画クラブの日。
60年以上の歴史があるこのクラブは
一時、15人以上のメンバーがいたそうですが
高齢化により昨年から吉山さんただ一人に。

しかし、園の向こう側から
吉山さんを慕う一般の生徒さんが集まり、
新たな活気が生まれていました。

死ぬことばかり考えていた吉山さんを救ったのは
絵を描くこと。
好きな絵で
「徹底的に生きてやろう」と決意したのです。

当日のお召し物も、
薄いブルーのチェックのシャツに青いエプロン。
いただいたダンガリーのシャツは
「同じのを2枚持っている」とのこと。



ご本人に自覚はないようですが
「青が好き」なんだと思います。
間違いなく。



天草生まれ。
海を愛した少年の、記憶の色だと感じました。


元のページに戻る(人名リストに戻ります)
 
2015.08.10 Monday

杉野桂子さん ひと工夫のシャツ


熊本県には、
ハンセン病の元患者さんが暮らす
国立療養所 菊池恵楓園があります。

ここは、全国でも最大規模の療養所。


ハンセン病は「らい菌」によって
皮膚や末梢神経が侵される感染症で過去の病気。
今は確実に治る病気です。

憎むべきは
当時行われていた国の隔離政策。
世の中の無知や無理解から生まれる
人権侵害や差別や偏見。

とっくの昔に治ったこの病気のせいで
人生のほとんどを
この療養所で過ごさざるを得なかった方々が
たくさんいらっしゃる。
これはとうてい無視できない現実です。

この苦難の人生を生き抜いてきた方のシャツが欲しい。
そう思っていました。



そして、
ご協力いただいたのが杉野桂子さん。

入所者自治会が発行する機関誌「菊池野」の編集長です。



読書好きで文学少女だった杉野さんは
15歳で菊池恵楓園に入所し、その後、
岡山にただ一つ作られた
ハンセン病の患者のための高校に入学。
ここで学んだことが今に役立っているようです。

自治会でのこの役割は
身体が弱く働くことが出来なかった杉野さんの
心の支えになったことでしょう。



さて、いただいたシャツは可愛らしい丸襟のシャツ。
小柄の杉野さんですから7号サイズ。



後で気づいたのですが、
ボタンは飾りになっており、
中はすべてホックに付け替えてあったのです。

病気のせいで、
手が不自由な方が多い元患者さんのご苦労と
その、女性らしい細やかな手仕事に
心を打たれました。





杉野さんの、この世にただ一つのシャツ。
思いのこもった作品になりそうです。





元のページに戻る(人名リストに戻ります)
 
2015.05.14 Thursday

上妻利弘さん 天然のシャツ


何もない所から削り出すのは、
抽象的で有機的で、
何とも不思議な木のアート。

木彫家・上妻利弘さんの作る作品は
角丸で温かいが、繊細な攻撃性も感じる。

見た目はフツーのおじさん。
しゃべると「あれれ???」天然か。

初対面の時は作品とのギャップに驚かされました。

その時見た作品は、こんな感じ。
一気にファンになりました。
2013年、坂本善三美術館での展示です。



そんな上妻さんにシャツをいただくことに。

お話をうかがったのは
上妻さんの奥様・貴子さんと
お嬢さんの野乃花(ののか)さん。

上妻作品を見ることのできる和水町のカフェ
KINONでお会いすることができました。

ずいぶんと可愛らしいシャツ。
フランスの田舎で買われたものだそうです。
永く着られたようで
くたくたに愛されたシャツ。

まずは、
野乃花さんにシャツを持ってもらいパチリ。



どんなお父さんですか?
「面倒くさいですね」

やっぱり(笑)。

農家のご子息として生まれた上妻利弘さん。
高校も農業系で就職経験はなし。
芸術的な面はすべて独学。
もちろん師匠もなし。
デコイに魅せられて
バードカービングを始めたのがきっかけだったとか。

ただひたすら我が道を行き、
ここまで昇華されるとはすごい。
才能です。

和水町の自然が育んだ
ナチュラルボーンなアーティスト。
海外で高い評価を受けるのも納得です。



KINONの店内はこんな感じ。
カフェスペースだけじゃなく
貴子さんが選び抜いた雑貨も見もの。



キッチンでは野乃花さんが腕を振るいます。
若いシェフのひらめきに感動。



おしゃれです。美味しいです。
将来が楽しみです。

熊本市内から1時間ほどのドライブ。
和水町の肥後民家村の中にあるKINON。
畳のスペースがある古民家は小さなお子様連れもOK。
くつろげます。

南門から入ればすぐ。



運が良ければ
シャツの主に会えるかもしれません。



元のページに戻る(人名リストに戻ります)
 
2015.03.04 Wednesday

細川亜衣さん 職人気質なシャツ


なんて独創的で、自由きままで、
洒落た料理を作る人なんだろう。

こんな人が熊本にいるって、
なんか嬉しい。

そう思っていました。

料理家の細川亜衣さん。




大学卒業後イタリアへ渡り、
各地を旅しながら料理を学ぶ。

帰国後、
東京を拠点に料理家として活動を続け、
結婚を機に熊本に移住。
熊本で料理教室「camellia」を主宰。
著書多数。

夫は陶芸家の細川護光さん。
義理のお父様は細川護煕さん。

すごい家に嫁いだ、
ワンダフルな女性です。

いただいたのは
泰勝寺の梅が咲き誇る3月某日。



用意されていたのは、
ピンタックが美しいアンティークのシャツ。


男物でかなり大きめサイズ。
袖を七分か八分くらいに短くリメイクして
料理する時の
作業用として愛用されたとか、、、


フロントはもちろん、



袖口にもピンタック。



背中にも左右にちょっとしたピンタック。



麗しい職人技が、たまりません。
料理にこだわり尽くす亜衣さんらしい一枚。
そもそもこれを、
どんな人が着ていたのか?
あれこれ想像するのも楽しいです。

しかし、やはりアンティーク。
生地は思ったよりダメージを受けていたのか
早々に破れてしまったそうです。
残念。

作品として生まれ変わるアンティークのシャツ。
どうぞ、お楽しみに。

元のページに戻る(人名リストに戻ります)
2015.02.18 Wednesday

大畑憲一 父の日のシャツ



これは私の父のシャツ。




大畑憲一。

残念ながら故人です。

ヘビースモーカーで趣味はピアノ。
独学でベートーベンの月光とか弾いていました。



県立高校の化学の先生で、
うち13年間を専任カウンセラーとして務めました。

いわゆるスクールカウンセラー。

今でこそ当たり前の存在ですが、
父は、その最初の頃のカウンセラー。
遠くまで研修に行ったり、
なかなかに大変だったと思います。

学校の中だけではなく、
どこで知ったのか、
いろんな方から相談を受けていたようです。

書くのが好きだったので
本も二冊出しました。

問題の生徒といかに接するか
『学校カウンセリングの実際』(1990年 黎明書房)

『いじめについての大誤解』(1996年 近代文藝社)

読者からの反響もあったようで、
自宅に相談に来られたり、
全国各地からの電話相談に応じたり、
TVに出たり、
原稿の依頼が来たり。

時代は変わって、
問題の生徒も
いじめの質も随分変わったのかもしれませんが
子供たちに接するヒントは
今でも得られるかもしれません。

まだ購入できます。
良かったら、アマゾンでポチってみてください。



普段の服装は、
シャツにジーンズ、あるいは綿パン。
シャツはチェックかダンガリーが主で

これは父の日にプレゼントしたものでした。
最後のプレゼントでした。
好きそうな赤茶のチェック。
赤茶保有率は、かなり高かったのです。


そもそもどういうシャツを着ていたのか
写真でチェックしていて気付いたのですが




絶対カメラから目線はずす主義らしいです。
かっこつけてますねぇ。


これは母とのツーショット。
目線はずすのは、一人の時だけらしい。

発見でした。

元のページに戻る(人名リストに戻ります)
2014.12.16 Tuesday

坂本尚文さん 裏方のシャツ


熊本城に寄り添うように佇む
熊本県伝統工芸館。

「なんでも屋」とおっしゃるように
ここで多彩な役割を果たし
日々奔走しているのが坂本尚文さんです。



私が、
この解脱したシャツの作家・鈴鹿氏と知り合った時、
「熊本にひとりだけ知り合いがいる」
と聞いていたのが、この坂本さん。



それは今から30数年前の京都。
月刊「染色α」という専門誌で働いていた坂本さんが
染色家でもあった鈴鹿氏を取材したことが出会いでした。
その後、時を経て
ピンホール学会で熊本を訪れた鈴鹿氏は
熊本に帰っていた坂本さんと再会、、、、
やはりご縁があったのですね。

ということで坂本さんは、
今回の熊本プロジェクトにも
多大なご協力をいただいております。



さて、
今回いただいたのは、
生地の厚みがしっかりしていて
着心地の良さそうな
細いストライプのシャツ。

普段、坂本さんが好きなのは、
Tシャツやランニングのようにラフに着られるもの。
ボタンダウンのこのシャツなら
ラフなのにきちんと感もある。


「普段の、ゴロゴロする時のシャツですよ」


作品の搬入や搬出。
展示会の準備などでの
動きやすいこのシャツは活躍したそうです。





鈴鹿芳康 解脱したシャツは
2015年10月29日〜11月8日まで、
熊本・島田美術館で開催予定。

来年の秋まで、ひとふんばり
さらにひとふんばりが続きそうです。

元のページに戻る(人名リストに戻ります)
 
2014.04.21 Monday

村山英一さん 頼れるシャツ


昭和45年から平成8年まで、
永きに渡って国立熊本病院に勤務。
その間、熊本県の精神科医療を支える
多くの精神科医を育ててきた、村山英一さん。

79歳で、バリバリの現役医師。
第一線で患者さんと向き合う姿は
まぶしいほどお元気です。

ご専門は、精神科と神経内科。
そして、老齢精神医学。

心のケア、、というと軽いですが
日本でいちばん足りていない分野の
一つではないでしょうか。

いただいたのは白衣の下に着るシャツ。
「白がベスト」と聞いてはいたのですが
3枚ご用意していただいた中から、
白衣に映えそうなブルーを選ばせていただきました。



シャツはすべてオーダーメイド。
同郷で同年代の仕立て屋さんが
自宅まで来て下さるのだとか。

と、なると、かなり熟練のテイラーさんですね。

タグの部分にはネームが入っていて、
胸元には洒落たイニシャル。素敵です。



「服は着られればいい」とおっしゃいますが、
同じように見えるワイシャツも
よく見ると、ストライプやドットの織柄が入っていて
密かにお洒落なんだなぁと感心しました。



ちなみに、村山さんは私の母と同級生。
なんと台北の旭小学校という所で一緒だったのです。
それは、日本が台湾を統治していた時代。
村山さんは銀行員だったお父様に連れられて、
その後上海へ。
母は台湾総督府や台北帝大に勤めていた
父親(私の祖父)に同行したとか。
その頃の話を聞くのは、とても不思議で興味深いものです。

昔の話から最先端の話まで
また、いろんな話、聞かせてください。
頼りにしていますから。


元のページに戻る(人名リストに戻ります)
2014.04.17 Thursday

村上哲さん ロックなシャツ


熊本県立美術館の学芸員、
村上 哲さん。


専門分野は「比較芸術学」 という学問で、

研究対象は、ヨーロッパ美術史、エコール・ド・パリ研究、
藤田嗣治(レオナール・フジタ)研究、欧米版画史 etc.

そういえば、ある日、NHKの日曜美術館を見ていたら
村上さんが登場し、驚いたことがありました。

それは、藤田嗣治の回。
不思議はないですね、ご専門ですから。

それで、「あっ!!」と思い、
催促のメールを入れたものでした。
「早くシャツください」と。



待ちに待っていただいたシャツは、
なんともアーティスティックなシャツ。



背中には、ギターやドラム、キーボードにアンプ。
バンドが出来そうです。




話を聞くと、
村上さん、子供の頃はヴァイオリンを習っていたとか。

それが13歳でジミヘンと出会い、
しびれてしまったのです。

ジミ・ヘンドリックスの「Little Wing」

そこから、レッド・ツェッペリン、
エリック・クラプトンとロックの道をまっしぐら。
20代でジャズにはまり、
今でもバンド活動中なのだそうです。

はぁ、うらやましい。

実はこのシャツ、
そんな村上さんの音楽好きを知る方から
プレゼントされたもの。
ライヴでも着用されたとか。
ステージ衣裳にぴったりですね。

ジャズとロックを愛するギタリスト、村上哲さん。
音楽に人生を左右された幸せな人。

らしい一枚、ありがとうございます。


元のページに戻る(人名リストに戻ります)
 
2014.04.02 Wednesday

石牟礼道子さん 信念のシャツ


2014年3月、
熊本市で上映された映画がありました。

「花の億土へ」

その主演が、作家であり詩人である
石牟礼道子さんでした。



著作『苦海浄土』をはじめとして
水俣病闘争のシンボルともいえる石牟礼さん。
ひとりの文学者としても特別なオーラを放つ
美しい女性です。

その石牟礼さんから
人を介してシャツをいただくことができました。
シャツというか、ワンピース。

しかも、手作り。
洋裁がお得意で、シャツやワンピースなど
自分で作られるとのこと。ちょっと意外です。

それが、これ。


ディティールまで、こだわりが感じられます。
キレイな仕上げ。


その自作のお洋服を着て、
厚生省やチッソ本社前で座り込みをされていたのです
とてもお洒落な、戦闘服。

その様子を、
東京在住の写真家
宮本成美(しげみ)さんが撮影していました。
これは、1970年5月25日、
厚生省前での「水俣病補償処理委員会の回答阻止」座り込みのワンシーン。


photo : Shigemi Miyamoto ©

仁王立ちで、みんなの先頭に立つ石牟礼さん。
ジャンヌ・ダルクのよう。いい写真です。



今、
石牟礼さんはパーキンソン病を患っているとのこと。
しかし、その意欲は衰える事無く
闘病と執筆の毎日なのだそうです。

石牟礼さんが熊本に生まれたことを
誇りに思います。尊敬します。

ワンピース、ありがとうございます。
きっと、展覧会の目玉になるでしょう。

仲介してくれた石牟礼さんの番記者Nさん、
ありがとうございます。

元のページに戻る(人名リストに戻ります)
Powered by
30days Album